~スポーツ障害、大怪我、そして絶望から生まれた「WAJUの確信」~
「なぜ、私の痛みは治らないのか?」 そう、絶望したことはありませんか。実は、私自身がその答えを求めて、人生の半分以上を膝と腰の痛みと共に歩んできた人間です。
私が辿り着いた「和柔(WAJU=和重)流」の根底には、教科書には載っていない、私の身体が身を以て経験した「教訓」があります。
1. 柔道の過酷な修行と、ボロボロになった十代・二十代
中学時代、柔道部での「ウサギ跳び」や「重労働のような筋トレ」の末、私は両膝のオスグッド病(成長痛)を患いました。得意の背負い投げができなくなり、腕力に頼る技に切り替えた結果、今度は腰を酷使し、数度のぎっくり腰を経験。
二十歳で「骨接ぎ」の門を叩き、明石の名門整骨院へ弟子入りしましたが、そこでも柔道の稽古は必須。悲鳴をあげる身体を抱えながら、レントゲンが告げた診断名は「第5腰椎・脊椎分離症」。右脚には激しい坐骨神経痛が走り、まさに満身創痍の修行時代でした。
2. 「趣味」がさらに身体を追い詰めた三十代
二十五歳で独立し、やっと柔道から解放された私が没頭したのは、マウンテンバイクでした。しかし、これが大きな落とし穴でした。
四十歳の頃、「脊椎分離・すべり症」が悪化。歩くことさえままならず、医師からは手術を勧められました。 「なぜ、鍛えているはずの私の身体は悪化していくのか?」 私は必死に自分の身体を分析しました。そこで気づいたのは、「不自然な動き」の恐ろしさです。
- 格闘技の歪み: 特定の方向への捻りが、関節の限界を超えていた。
- 非効率な運動: 自転車は「抗重力運動(足で体重を支える動き)」ではない。道具に身体を合わせた不自然な姿勢が、体幹深層筋のバランスを崩していた。
「人間は、歩くために進化してきた。ならば、歩くことで治るはずだ」 この直感から、私ー独自の歩行法とストレッチの研究が始まりました。
3. 三千メートル級の登山と、半月板損傷の克服
自ら開発した「歩行法」を実践し、3年かけて坐骨神経痛と腰痛を自力で克服しました。四十五歳で挑んだ3,000m級の前穂高岳から鑓ヶ岳縦走。山を歩くたびに、私の身体はかつてないほど健康に、強くなっていくのを実感したのです。
しかし、試練は続きます。2022年、御岳登山中の事故で「左膝内側半月板損傷」を負いました。「半月板は治らない」というのが定説ですが、私は諦めませんでした。 左右の膝を離さない、独自の「WAJU流スロージョグ」を3ヶ月継続。人間の持つ「自然治癒力」を信じ、私は再び、自分の膝を自分の力で再生させたのです。
4. 2024年の大事故。それは「使命」を知るための導きだった
2024年8月、西国三十三所巡礼”歩き旅”の道中、私は転倒し、右腓骨骨折・右肩鎖関節亜脱臼という全治数ヶ月の大怪我を負いました。 人生初の全身麻酔、入院。「もう仕事に戻れないかもしれない」……そんな弱気がよぎったとき、私は二冊の本(田坂広志氏・福岡伸一氏)に出会いました。
「すべての出来事は、自己を磨くための天からの配剤である」 「生命は絶えず入れ替わっている。心さえ前を向けば、身体は新しく生まれ変わる」
この言葉に魂が震えました。私は「2ヶ月で復帰する」と決意し、松葉杖をつきながら、体幹軸をぶらさないウォーキングを徹底。宣言通り、わずか2ヶ月で再開院を果たしました。
古希を前に、私があなたに伝えたいこと
膝が痛い、腰が動かない……。それは身体が悪いのではありません。 「治ることを信じる心」と「正しい身体の使い方」を、忘れてしまっているだけなのです。
私は、膝・腰・足、すべての激痛を経験し、それを克服してきました。 霧が晴れた今、私の使命ははっきりしています。
「本当に病気を治せる施術師として、あなたの痛みに寄り添い、共に歩むこと」
人生100年時代、私にはまだ30年以上あります。自利利他(=修行で自己を高め、皆さまに貢献する)この精神に従い、邁進することが私の使命です。 頑張ります。
皆さまも自分を信じてください。自信を取り戻すのです。 ひざ痛・坐骨神経痛は必ず治ります。 その一歩を、一緒に踏み出しましょう。
